智恵子抄旅行記
伝説とロマンの町 二本松市 安達町(by 義臣さん)
安達が原の鬼婆
智恵子抄の智恵子の生まれ育った町
二本松市の安達町
団体旅行に参加行って来ました、
【旅行時期】2007/09/09~2007/09/10
【エリア】
安達・東和・本宮
【テーマ】
【投稿者】
義臣
白河の関を越えるとそこは −2005年9月21日・出発(北関東・福島・宮城)−(by 香子さん)
朝早く出ようと、太陽より私が先、と熱い夢を見ていた。
夢を見過ぎて、恥ずかしさに言えない程、寝坊した。
この平たい布団が恋しかった。たまには1日位寝てても、
そんな網戸越しの涼しい風の誘惑。 でも、
「行くならさっさとしてくれない?」
ぶっ、
ちょっと油断しただけだもん、
いきなりみちのく一人旅やっだー演歌じぁん渋ーいみたいな、
せめて文太か健さんがいいよー(-.-;)なんてゴネて、
布団にコビてただけだもん。
去就ムード壊れ、
目覚めよ獅子〜そんなムチ打って、
意志の弱い女が可愛い娘になるため旅立った。
始まる前からコケてる事に気づいたのは、
船旅計画に涌いた翌日だった。
‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥
航路が無かった。
大洗から船はどうしても苫小牧に行ってしまう訳。
苫小牧は北海道ね行き過ぎ。苫小牧に何があるという?
2000円のマックスマップルと共に生きていく道筋を受け入れた。
東京方面に北上するため、首都高3号に乗った。
間違いではないのだが、
湾岸-中央環状でスムーズに行く気分だったのが間違いだった。
第三京浜の出鼻から運命はガタガタだった。
いつまで池尻大橋、
用は無いんだ六本木ヒルズ、
平気で10Km混んでる。
やっと中央環状の陸橋で息吸える。
23区て香川県と大して面積変わらないのでは?
こんな煮詰まって
絡み合っちゃって
もぉドロドロと固まっちゃって。
さよなら東京−
タイトな首都高速での秘訣、それは一つ、
北と南間違えようがどうなろうと、
クヨクヨしない、
気にしない、
躊躇せず流れていくしかないのだ。
‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥
関越に常磐に中央道、いろんなヒヤリハットをくぐり抜け、
東北道三郷JC、埼玉県。
まだ感動も得てない蓮田PAで、
゛あー おいしそぉな 神戸屋メロンパン♪゛
に反応する私の鼻(^O^)
ぶち切れそうになる私の精神(-"-)
まだマップル東北に顔すら出してないのに、
埼玉で神戸屋のメロンパンそんなナンパなマネしてる場合なの!?
律した直後に、
゛点心横浜豚まん゛の看板。
ワナワナ(-"-;)
あんたいつから豚に魂売ったつもりっ、
振り出しに戻るぢゃない!!!
責めを受ける気持ち。
せめて宇都宮の餃子、
いいえ、白河の関を越えるまでは!いざいかん。
ほぉー渡瀬川
越えて那須、
那須西野原、
西那須野、
那須高原、
超しつけぇー
那須ウザすぎ
栃木でかッ。
小雨もふりつく18℃
この秋、初のホット缶コーヒーを買う。
あったかい。
‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥
ミスチルも3巡したころ、、
−ようこそみちのく白河へ!!
やったー福島県(^O^)
スタートライン立った☆
白河の関を越えるとそこはまるで桃源郷、
景色と空気がガラッと変わる、
と聞いていた。
ジャスコとコナカがある。
‥‥
そうこれから始まるのきっとめくるめく世界が!
青森まで‥‥460Km位ある(らしぃ)
それって5時間位なのか?
ふぅ〜
思い出すんだっ、
カケオチした蛍を追って、純が父さん乗せ富良野から釧路落石まで
運転した片道8時間の雪の道のりを。
その切なさに比べたら私の5時間なんて、そんな、フッ。
高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる安達太良山(あだたらやま)で、
前途多難の作戦会議。
当初の目標では、今秋田か岩手にいるはず。
今は仙台から時計周りの日本海方面か、
松島見て十和田湖目指して右周りするか、
いっそ青森の大間崎は捨ててこうか、
月山(がっさん)とか田沢湖や下っ端は皆捨てちまおう。
そんなレベルで思案中。
方針が決まるまで、宿無し。
まぁ私が決めなくても体が自然に終わりを迎えてくれるはず!
桑折(こおり)町〜国見町にかけて、
右側(太平洋沿い相馬市)の夜景が地平線のように連なって、
美しい。
ちょっと元気もらえた。
‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥
それを越えると、、
−ようこそ宮城県白石市。
やったー宮城県だぁー、
兄さん やりましたぁ(;_;)うっ
高校の修学旅行スキーで連れてかれた蔵王が今近づいてきます。
樹氷がとてもキレイでした。
ありがとう、今日は寄れません。
おっ
仙台まであと36Km
山形まであと55Km
山形?! なんか手が届きそうな気がしてきたっ!
がぜん、勇気が涌いてキタァーーo(^^)o
あ、待って違う、秋田と岩手に行きたいんぢゃないかぁ!
ぜんぜんまだちがうょ、もぉ、紛らわしいー(`ε´)甘いなぁ。
行けば良いってもんじゃなく、
十和田・八幡平(はちまんたい)・奥入瀬(おいらせ)と、
世界遺産・白神山地だけは、
絶対に観たい。
どっちも遠ーーい(∋_∈)青森県境。
既に密かに必殺湿布も2枚たぷたぷ張っといた。
にわかに快適なドライブ。
3台につき2台と非常に涌いてた、
キモち悪いトラック群も減り始めた頃。
‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥
そんなこんなで、、
−わたくし仙台に着きました。きゃっ。
あれだけ田舎に泊まろう計画だったくせに、
予定外で杜の都・伊達正宗の62万石の城下町・仙台入りです。
ここ仙台南ICで高速降りてみる。
\7.200お支払い。高いのだが、
空と海より安く済み、あとは節約一般道!
広瀬川~流れる岸辺~青葉城跡~
そこは高台の夜景スポットなのか車が連なって続き、走る。
しまった
流されて丘を降りたら、
こんな時間に八木山動物公園とか、
東北大とか、あーもう!
通りがかった仙台テレビタワー?
東北放送局でした。
仙台の街には3つ位同様なタワーがそびえてます。
当然栄えてますが、やはり夜は早いです。
片道4車線はタクシーのみ。
岩手・盛岡まであと100Km
青森までがあと200Kmか
まっ
なんとかなるさ〜〜(・_・;)
今夜は、笹かまと味噌パンです。
今宵は、道の駅「厳美渓」へ、
月のない曇るみちのくの里にオトナシく車泊します。
明日があるさ☆
日本の旅 奥の細道を辿る【1】 芭蕉が訪ねた飯坂温泉と磐梯高原、猪苗代湖(by さすらいおじさんさん)
1993年に初めての東北旅行を経験した。13日間というまとまった休暇が取れたので福島、山形、宮城、岩手、青森、秋田、新潟、富山と回ったが、途中では青森から青函トンネルを通って函館も訪ねた。この旅では各県の歴史文化、自然を知ることと、憧れの旅の俳人・松尾芭蕉が歩いた奥の細道を辿ることも目標だった。
旅の第一歩は福島県の飯坂温泉。1689年(元禄2年)3月27日
「行春や鳥啼魚の目は泪」
の句で見送りに来た弟子達との別れを惜しんだ芭蕉は日光、白河関などを見物し5月2日に飯坂温泉に到着。源義経が奥州平泉の藤原秀衡のもとから、兄頼朝を助けるために鎌倉にはせ参じたときからの家来、佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺である医王寺を訪ねている。佐藤継信・忠信兄弟は義経の忠孝の士であり屋島の合戦で継信が義経を守って戦死した場面はNHKの大河ドラマ「義経」でも重要なシーンになっていた。佐藤継信・忠信兄弟の死後義経が平泉に落ちる途中に佐藤の館に寄ると佐藤兄弟の2人の嫁が亡き夫の鎧兜を身につけ、義経を助けたいと申し出た話は美談として芭蕉も感動している。医王寺が宝物にしていた義経の太刀や弁慶の笈を見た芭蕉は端午の節句の5月には、弁慶の笈も義経の太刀も、帋幟(かみのぼり)といっしょに飾って祝ってほしいと次の句を詠んだ。
「笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)」
早朝に訪問した医王寺では檀家と思われる人達が熱心に清掃されていたことが印象に残った。
福島では磐梯吾妻スカイライン観光をし、吾妻小富士に登った。高村光太郎の智恵子抄で詠われた安達太良山は霧で見えなかったが周囲の景観は良かった。五色沼のコバルトブルーも神秘的だ。猪苗代湖では野口記念館が印象に残っている。世界的な医学者、野口英世博士(1876−1928年)の生家があり遺品を展示していた。野口英世を紹介した映画「遠き落日」でも猪苗代湖周辺や英世の生家でロケをしたそうだ。生家には英世が乳児のときに転落し、手に大やけどを負い、医学を目指すきっかけとなった囲炉裏もあった。展示品の中では映画でも紹介していたが、海外で活躍する野口英世に戻ってきてほしいと、たどたどしい文字で嘆願する、母の手紙に感動した。
(写真は五色沼)
〜北海道&東日本パスで北へ〜(by shioriさん)
この日の目的は、普通列車で埼玉県から15時間かけて青森県まで行き急行「はまなす」に乗ることです。東北地方の車窓を楽しみながらの長い旅となりました。
子供の頃、高崎線が群馬県の高崎までしかいかないのに、高崎線の車両にそっくりな東北線が東北まで行っているというのが、なんとなく信じられませんでした。一度でいいから東北線を乗りついで、本当に東北まで行っているということを確かめてみたかったのです。女友達には「そんなの時刻表見ればわかるじゃん」といわれてしまいましたが…。
途中であきるかなと思って、本や携帯ゲームを持っていきましたが、少しもあきることなく未知の風景を楽しみながらの旅でした。福島県で山が見えたら智恵子抄にでてくる安達太良山かな、それとも会津といえば磐梯山かなと想像したり、白河駅近くで石垣が見えたら「きっと白河城だよ」と予想したりと。思いがけず車窓から松島の風景を見られたのは嬉しかったです。
友人に青森まで鈍行で行く貧乏旅行をしてきたと報告したら「ある意味、贅沢な旅行ですね」といわれました。確かにそうかもしれないなと思います。時間をかけて旅をすることでいろいろなことを考えました。目的地についてからが旅なのではなく、目的地につくまでも旅なのだなあとしみじみ思いました。
こんな列車の旅をする人なんていないと思ったのですが、同じ行程で移動している人達が何人もいました。青森駅近くでは知らない者どうしが「おつかれさま」「やっと着きますね」と声をかけあい、最後には、なんだか旅の仲間のような感じになったのでした。
大宮 06:12発 (宇都宮線)
宇都宮 07:28着/07:37発 (宇都宮線)
黒磯 08:28着/08:37発 (東北本線)
郡山 09:56着/10:08発 (東北本線)
福島 10:54着/11:00発 (仙台シティラビット3号)
仙台 12:12着/12:45発 (東北本線)
一ノ関 14:23着/15:27発 (東北本線)
盛岡 16:56着/17:04発 (いわて銀河鉄道・青い森鉄道)
八戸 18:58着/19:13発 (東北本線)
青森 20:45着
「智恵子の空」を求めて安達太良山を登る。(by kyokosa-nさん)
あどけない話
智恵子は東京に空がないと言ふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。(智恵子抄より)
安達太良山には青い空が良く似合う。
(青い空と安達太良の連峰)
智恵子抄に関する質問
映画 智恵子抄
高村光太郎の智恵子抄がビデオ化されているのを手に入れたいので探しています。
『智恵子抄』の映画?
10年位前に放送されたドラマか映画で、高村光太郎と智恵子の出会い〜智恵子の死くらいまでを描いた作品をもう一度見たいです。出演者や監督名などは一切不明です。ラストシーンの智恵子が病床でレモンをかじったときに『檸檬哀歌』の朗読が
智恵子の病名
高村光太郎の「智恵子抄」の中では、智恵子は正気のうちに、自分の「頭が壊れてしまった」後のために、いろいろな準備をしていますよね。だんだんと狂気の世界に入っていくという病気は、いったいどんなものなのでしょうか?もし
高村光太郎の詩、「晩餐」と「樹下の二人」について
高村光太郎の詩集「智恵子抄」に収録されている詩、「晩餐」と「樹下の二人」の分析をしているのですが、内容がなかなかつかめません。解説や、作品の情報などを教えていただけると幸いです。
高村光太郎の生き方って??
高村光太郎さんの生き方について『道程』や『智恵子抄』を読みながら考えているのですが、なかなかつかめないのです。いろんな人の考えを知りたいです。お答えお待ちしています。